№ 837
2022.9.25(日)
横浜の山下公園の前の道を歩いていると、ヨーロッパスタイルの建物が目に入ってきます。
開業当時と変わらぬ石造りの佇まいをしたこの建物は、横浜の長い歴史と共に歩んできた建造物で、震災の瓦礫で埋め立てた場所に造られた山下公園の前に、昭和2年(1927年)12月1日に開業した、横浜のランドマーク的存在「ホテルニューグランド」です。
このホテルは、日本のホテル10選にも選ばれたチョット有名なホテルで、以前から横浜に来るたび気になっていましたが、中に入る機会もなく眺めているばかりでした。
しかし、本日 知りあいの方が宿泊すると云うので、こんな機会を逃したら自分が宿泊でもしない限り客室に入ることなんて出来ないので、絶好のチャンスとばかり一緒に連れて来てもらう事にしました。
『そう云う所が「小市民の小市民たる由縁なんだョ‼」と云う天の声が聞こえてきたような気がしました・・・・⁈』
本館正面玄関を入ると、このホテルのシンボルと云うような大理石の大階段が存在感を示してます。
まるで「風と共に去りぬ」の舞台のようです!
ところで、このホテルが「ドリア」「ナポリタン」「プリンアラモード」などの発祥の地としても有名だって云う事をご存知ですか?
このホテルは終戦後の1945年8月から7年間に渡り、米軍将校の宿舎としてGHQに接収されていましたが、当時の「ホテルニューグランド」の厨房から後に広く知られるこれらの料理が生まれたそうです。
「ドリア」は、初代総料理長のナリー・ワイル氏が、体調を崩した外国人客のために即興で考案した一品で、「ナポリタン」は、2代目初代総料理長の入江茂忠が、接収時代に茹でたスパゲッティに塩・胡椒とトマトケチャップを和えたものを米兵が食べていることを知り、アレンジを加えて生み出した一品だそうです。そして「プリンアラモード」も、接収時代にアメリカ人将校婦人を喜ばせたいと、当時のパテシエが考案したそうです。
なんと、この大階段の横にあるコーヒーハウス「ザ・カフェ」では、その頃に誕生したこれらの料理を、当時のままのレシピで食べられるんです。
一度食べに来たいと思っているお店ですが、大分お値段が張るのでなかなか実現しません。
ホテルの正面玄関と思っていたのは旧館の玄関で、ホテルの玄関はこちらの新館の方でした。
新館と云えども、あちらこちらに歴史の重みを感じさせる重厚な造りです!
結構、泊まる人が多いのにもプチ・ビックリ⁉
エレベーターで客室階に到着。
ベルボーイの人に「なんで付いてくるんだろう⁇」なんて不審者と思われても困るので、お部屋を見に付いてきた事をさりげなくアッピールしときました⁈
でも、「写真なんかパシャパシャ撮って何してるんだろう⁈」って思ってたかも、、、、⁈
TVや冷蔵庫・タンスなどは、このマホガニーの家具の中にINしてました。
きっと素敵な夢が見られそうなベットでした。
でも、小市民な私は、落ち着いて寝られないかも⁈
バス、トイレ、洗面所が区分されている、広々としたサニタリールーム。
驚いたことに、シャワー室がバスと一緒ではなくて、別に区分されていました!
2022.9.25(日)
横浜の山下公園の前の道を歩いていると、ヨーロッパスタイルの建物が目に入ってきます。
開業当時と変わらぬ石造りの佇まいをしたこの建物は、横浜の長い歴史と共に歩んできた建造物で、震災の瓦礫で埋め立てた場所に造られた山下公園の前に、昭和2年(1927年)12月1日に開業した、横浜のランドマーク的存在「ホテルニューグランド」です。
このホテルは、日本のホテル10選にも選ばれたチョット有名なホテルで、以前から横浜に来るたび気になっていましたが、中に入る機会もなく眺めているばかりでした。
しかし、本日 知りあいの方が宿泊すると云うので、こんな機会を逃したら自分が宿泊でもしない限り客室に入ることなんて出来ないので、絶好のチャンスとばかり一緒に連れて来てもらう事にしました。
『そう云う所が「小市民の小市民たる由縁なんだョ‼」と云う天の声が聞こえてきたような気がしました・・・・⁈』
本館正面玄関を入ると、このホテルのシンボルと云うような大理石の大階段が存在感を示してます。
まるで「風と共に去りぬ」の舞台のようです!
ところで、このホテルが「ドリア」「ナポリタン」「プリンアラモード」などの発祥の地としても有名だって云う事をご存知ですか?
このホテルは終戦後の1945年8月から7年間に渡り、米軍将校の宿舎としてGHQに接収されていましたが、当時の「ホテルニューグランド」の厨房から後に広く知られるこれらの料理が生まれたそうです。
「ドリア」は、初代総料理長のナリー・ワイル氏が、体調を崩した外国人客のために即興で考案した一品で、「ナポリタン」は、2代目初代総料理長の入江茂忠が、接収時代に茹でたスパゲッティに塩・胡椒とトマトケチャップを和えたものを米兵が食べていることを知り、アレンジを加えて生み出した一品だそうです。そして「プリンアラモード」も、接収時代にアメリカ人将校婦人を喜ばせたいと、当時のパテシエが考案したそうです。
なんと、この大階段の横にあるコーヒーハウス「ザ・カフェ」では、その頃に誕生したこれらの料理を、当時のままのレシピで食べられるんです。
一度食べに来たいと思っているお店ですが、大分お値段が張るのでなかなか実現しません。
ホテルの正面玄関と思っていたのは旧館の玄関で、ホテルの玄関はこちらの新館の方でした。
新館と云えども、あちらこちらに歴史の重みを感じさせる重厚な造りです!
結構、泊まる人が多いのにもプチ・ビックリ⁉
チェックインが終わり、いよいよ客室に向かいます。
天井の低い廊下には、このホテルの歴史を物語る展示物があちこちにありました。
天井の低い廊下には、このホテルの歴史を物語る展示物があちこちにありました。
エレベーターで客室階に到着。
ベルボーイの人に「なんで付いてくるんだろう⁇」なんて不審者と思われても困るので、お部屋を見に付いてきた事をさりげなくアッピールしときました⁈
でも、「写真なんかパシャパシャ撮って何してるんだろう⁈」って思ってたかも、、、、⁈
客室の窓外には、横浜港の大さん橋と山下公園の緑が広がっています。
きっと素敵な夢が見られそうなベットでした。
でも、小市民な私は、落ち着いて寝られないかも⁈
バス、トイレ、洗面所が区分されている、広々としたサニタリールーム。
驚いたことに、シャワー室がバスと一緒ではなくて、別に区分されていました!
建物だけしか見ていませんが、流石に長い歴史と伝統のあるホテルと云う感じでした。
ベルボーイさんも、殆ど不審者みたいなじいさんが、パシャパシャ写真を撮りながら付いてきても、感じのいい対応をして下さったので、きっと気持ちのいいサービスも受けられることでしょう。
いやぁー 本当にいい経験をさせてもらいました‼
きっとこんな歴史ある高級ホテルには、一生泊まることはないだろ~なぁ~。ベルボーイさんも、殆ど不審者みたいなじいさんが、パシャパシャ写真を撮りながら付いてきても、感じのいい対応をして下さったので、きっと気持ちのいいサービスも受けられることでしょう。
いやぁー 本当にいい経験をさせてもらいました‼